情報アイランド

「情報を制する者は世界を制す」をモットーに様々な情報を提供することを目指すブログです。現在はプログラミング関連情報が多めですが、投資関連情報も取り扱っていきたいです。

二度とできない体験

※これは「名もなき老婆」さんからの寄稿記事です。このブログでは寄稿を募集しています。興味がある方はご連絡ください。


戦時中ということで、女学生だったのに農業の時間が特設された。

外仕事のできる時期は学校の近くの農家の田んぼの草取りの手伝いに行かされた。
暑くて汗をたらたら流し、友達と汗だらけの顔を見比べ、愚痴をこぼしながら笑ったり怒ったりしたものだ。
田んぼには水が張ってあり、泥の中へ足を入れる時の気持ちの悪さ。前へ進む時、片足を抜くとよろけて今にも田の中で尻餅をつきそうになる。
取った草が手いっぱいになると田の中へ埋める。片方の足で泥の中へ押し込む。
でもなかなか全部は押し込めず、どこかで草が顔を出す。
また何度か押し込む。
など、いろいろ思い出す。

田の仕事をしている人は偉いなあ。
自分はこんなの、とても駄目だなあ。
時間よ早く経て経て。
と思い、草取りをした。

農家で育った自分だったけど、田畑の手伝いはほとんどしなかったし、家の者もさせなかった。
自分の通う学校が遠方だったので、家へ帰ると暗くなりかけの日が多かった。
また、今と違い土曜は休みなしで、日曜には洗濯したり掃除したり食事の用意などの手伝いで時間がなかったこともあってか、野良仕事は何も手伝わなかった。

次の年は学徒動員に駆り出され、学校の近くの○○工場で働かされた。
その工場は落下傘の布を織っているのだと聞かされていた。
母の実家が小規模の機織りの工場だったので、機械は見たことがあったし、珍しくもなかった。
でも、動かしてみたことは一度もなかった。
一から織工さんに一対一で動かし方から教えてもらった。
毎日がちゃがちゃうるさい音の中、分からないことがあってもこんなこと教えてもらうの悪いかなとか、笑われるかなとか考えてしまう。
生まれつきお世辞の下手な自分。織工さんとの人間関係もあり、とても気を遣う毎日だった。

その内に体調を崩し、校医さんより機織りの仕事は駄目、ということになり、糸繰りの仕事に回った。
糸繰りも何一つ知らず、一からの仕事だった。

動員の間は工場の寄宿舎で上級生に気を遣いながら早く家に帰りたいなと思い過ごした。
その内にとうとう終戦を迎え、工場ともお別れ。
元の学校生活に戻った。

学徒動員のおかげで自分の置かれている環境の甘さを自覚できた。
同じ年頃の人が田んぼの仕事や機織りの仕事やもっともっと辛い仕事で頑張っているのだから、贅沢は言わないで両親に孝行をしなくてはと思ったことは確かだ。
動員が自分にとっては良い経験で、少しずつ我慢ができるようになってきたように思った。

小学校の低学年の頃まで、凄く性格のきつい祖母がいた。
母は毎日田んぼの仕事に行っていた。
田んぼしに嫁いできたようなものだった。
どんなに辛い毎日だったろうな。
祖母は母が田んぼに行っていればご機嫌で、家で少しごそごそやっているといつも小言を言われていたのを子供心に覚えている。

そんなこともあってか、自分は絶対農家へは嫁ぐものか、両親にもそう言っていたが、自分の願いも空しく農家に嫁ぐことになってしまった。
これも運命かな。
でも、ここへ嫁がせてもらって、この年まで生かさせてもらい、とてもありがたく思っている。

pizyumi
プログラミング歴19年のベテランプログラマー。業務システム全般何でも作れます。現在はWeb系の技術を勉強中。
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